在日中国人としての私と「平成」ー日本の元号表示が私にもたらした期待と不便。

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在日中国人としての私と「平成」

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平成最後の○○を騒いでからあっという間にもう本当に平成最後の月に突入しました。
私は中国出身で西暦表示なので、日本に来る前に年号に全く縁がなかったです。

日本に来た最初の頃、馴染めなかった「平成」

年号の起源は中国であるものの、とっくに廃止したので、年号に対してとても新鮮でした。
来日したばかりの頃、テレビを付けて天皇皇后両陛下また皇族のお話が耳に入ると、なんだかタイムマシンにでも乗って古代に戻った感覚さえしました。
とても失礼ですが、少し面白がっていました。
区役所に行って、必要な書類に自分の生年月日を記入する際に、

平成・昭和・大正  年  月  日

初めてこの表示形式を目にした瞬間の戸惑いを今になっても明晰に覚えています。
その時、日本の年号に全く知識はなかったので、とりあえず役所の方に言われた通りに素直に「平成」に〇をつけて初めて自分は1991年生まれの他に、平成3年生まれと2パターンがあると初めて知りました。
そして、中国出身の自分とそれほど関係がないと分かっていても平成という年号にとても親近感を抱いています。

「平成」から感じた不便

①学生時代は年が近い人ばかりなので、すぐ相手の年を計算できた。

気持ちがすっかり舞い上がっていましたが、同時にこの元号は私にもたらした不便にも気付き始めました。
留学生時代に、周りに同じ年や年が近い人ばかりいたので、平成〇年生まれですと言われても自分の誕生年の3年から引き足し算が簡単にできました。

②社会人になってから西暦の年に起きた大事件を知っても元号表示で言われるとピンとこない

学生時代ではそれほど気にならなかった元号表示でしたが、
社会人の仲間入りしてから、さすが大正というワードが出てこないものの、昭和生まれの先輩や上司や取引様と会う機会がとても多いです。自己紹介の時に自分の年まで紹介してしまう人がいないが、飲み会の席に昭和軍団の昭和武勇伝を聞かされる機会も増えます。その時に、昭和〇年とか平成〇年とか世界でこういうことがあったよねと上の人に自分の生まれ年と遠く離れた年代の話を語られたら全くピンときません。
時間がかかるものの、平成期間内のお話であればまだ何とか西暦に換算することができましたが、昭和〇年と言われたら、

そもそも昭和っていつから?
自分の生まれ年は平成3年=1991年なので、逆算すれば平成元年は1989年、そして昭和最後の年は1988年なのかな?
しかし、昭和は一体何年が続いたか知らないし、やはり逆算は無理。

という複雑な思考回路を経ても答えに辿り着けませんでした。泣

③○○生まれに強いステレオタイプを押し付けられる

昭和生まれ=頑固、何事も一生懸命、失敗することを恐れて新しいことをしようとしない
平成生まれ=ゆとり、薄い危機感、プライベート優先しすぎ、何事もほどほど

生まれた元号を伝えるだけで、時代の色彩がもたらした先入観が先に浮かび上がります。

元号を使っているのは日本だけ?

実は今現在日本の他にも独自の紀元法を使っている国は沢山ありますが、元号を使っている国は日本だけです。

紀元―ある出来事が起こった年を始点として、それから何年経過したかで時間を測定する、無限の紀年法である。
元号ー君主の即位によって元年から再度数え直され(リセット)、名称も改められる。

紀年法のうち、無限のシステム(紀元)であるのに対して、元号は有限のシステムである。

この元号法は本家の中国が近代化の影響を受け、1912年に滅んだ清朝を最後に使われなくなり、今も維持しているのは日本だけになりました。日本では明治以降、天皇一代につき元号1つの「一世一元」を採用している。

それでも私は日本の元号表示が好き。

不便を感じながらも元号があったほうが嬉しい。
中国生まれの元号法は中国人の私でも全くなじみのないものとなりつつある中、世界中に未だこの伝統を守ってくれる日本があります。
私は平成生まれ、平成に来日した、平成に結婚したと自分の人生の中で重要な節目を迎えたのは全部平成でしたので、平成への思いがとても強いです。
しかし、よく考えれば、私初めて日本にやってきたのは6年前で日本に来てから平成生まれになって、中途半端な平成生まれですね。
平成の終わりをちゃんと見届けますが、平成の始まりどころかほぼ平成の後半しか生きていませんでした。(日本に来てから自分の平成表示が始まったから)
なので、5月から始まる令和に対してとてもわくわくしています。
やっと私がスタートから生きる時代が来ました~