中国版TIKTOK「抖音(ドウイン)をアンインストールしている人が激増? ―中国人がTIKTOKを手放した理由

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中国版TIKTOK「抖音(ドウイン)をアンインストールしている人が激増?

 ―中国人がTIKTOKを手放した理由
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中国で最も利用人数が多いアプリの一つのTIKTOK「抖音(ドウイン)」、今沢山の中国人の若者にアンインストールされている。
TIKTOK抖音(ドウイン)も中国で一時風靡した日本の携帯アプリゲームの「旅かえる」のように消えてしまうか?

私の周りにも完全にTIKTOK抖音(ドウイン)をアンインストールしている人が増えている。
以下TIKTOK【抖音(ドウイン)】をドウインと省略する。

・中国人は飽き性だから、もうドウインに飽きてしまったか?
・幅広い利用者を抱えていると言われるドウインだが、やはり特定の年齢層向けのコンテンツが明らかに増え、他の年齢層の利用者は撤退し始めたか?
・コンテンツのネタが切れてしまったか?
・商業目的が目立つようになり、利用者に嫌われたか?


沢山の理由を考えられるが、なぜドウインは自分の生活にとって必要とされなくなったか私の経験をもとに話します。
私はドウインがこの世に生まれた最初から利用し続けてきたヘビーユーザー。こんなにも長く使ってきたにもかかわらず、ドウインをアンインストールすると決心した理由は、このアプリが不完備で良くないのではなく、逆にこのアプリは完璧すぎるからだそうです。

TIKTOK抖音(ドウイン)をアンインストールした理由はこのアプリが完璧すぎるから?

アプリ自身から見れば、インタフェースの分かりやすさ、操作の利便性、コンテンツの豊富さ、どこでもタイムラインを気軽に見られる使いやすさの全てはユーザーにとって完璧なアプリだといえるでしょう。
朝出勤時に電車の中で見る。
お昼に並んでいる時に見る。
仕事休憩時間に見る。
夜寝る前にベッドで横なっても見る。
完璧すぎるから、ドウインはどこにいても欠かせない娯楽ツールとなっている。

開けば楽しいが、閉じれば虚しい

一つの動画は15秒~20秒くらいしかかからない短い動画ばかりだが、あのアプリを開けば少なくとも30分が平気に過ぎてしまう。
見終わって、アプリを閉じればなんだか漠然とした虚しさが襲ってくる。
毎回こういう気持ちで一日を終えるのがやはりどこか変だなと思った。
ドウインを見る快感とドウインを閉じた時に生まれた茫然自失との二つの感情が同時に存在することに違和感を覚えていられない。
一つのアプリに対してこの二つの感情が共存するのが不合理な気がしてきた。
そのモヤモヤ感はドウインと他の「楽しいアイテム」と何が違うのかを考え始めたきっかけになった。

本を読む時に、美しい描写や心に触れたエピソードや知らない新しいフレーズと遭遇したら、とても喜ぶ。
本を閉じたら虚しい気持ちではなく、心に満たされた気分になる。
ジムで体を鍛える時にも、自分のペースでトレーニングして、汗を確り流して、運動が終ったら全身に痛みを感じるが、すごくすっきりとした気持ちになる。
なぜドウインを見る時に、このようなポジティブな気持ちにならないかと自分の中でずっと気になっている。

ドウインあり生活とドウインなし生活を見比べてみた。

実は今回本気にドウインをアンインストールしたのは二回目です。
前このモヤモヤ感を解消させるため、実験を行った。
ドウインをアンインストールしたドウイン無しで自分の一週間の生活を観察し、またドウインを再びインストールして携帯にドウインがある状態で自分の生活にもたらした変化を見てみた。
ドウインありとドウイン無しの生活を見比べた結果、自分なりの答えが見つかった。
ドウインの正体は「泥棒」です。
ドウインのコンセプトは、ユーザーの細かな隙間時間で生じた退屈さをなくすこと。

隙間時間とは、予定と予定の間に生じた短時間の暇、明確な目的を持たない時間。

例えば、行動の目的は会社に行くことだが、そのため、電車に乗っている漫然とした時間を我慢しなければならない。
こういった電車に乗ることは目的ではないので、隙間時間だと考えられる。

また、ランチタイムに社員食堂でお昼を食べる時に、目的行動は食事することだが、目的に達成するため、列に並んで10分以上待たなければならない。この並んでいる10分以上は隙間時間と言えるでしょう。

寝る時も一緒、私は結構寝つきが良くなくて、ベッドで横になっても暫く眠れない時間が続き、天井を見つめて一人でしりとりをしたりしている。しかし、天井を見つめることもしりとりすることも目的のではない。こういった行動をするのは早く寝付くため。眠れる前のこの時間は隙間時間となる。
ドウインが狙っている使用時間はこういった目的ではない隙間時間です。

明晰な目的を持ち、ユーザーの需要を確り掴んでいる優れものと思われる。
ドウインをアンインストールした一週間は、細かな隙間時間は今まで通りに存在しているが、自分には全く違う生活リズムができる、またドウイン無しの日々はより満足感を得た生活だった。

電車の中で最新ニュースをチェックしたり、本日の仕事スケジュールを練ったりする時間が自然とできた。
ランチを並んでいる時にも、同僚と世間話を交わしたり仕事のアドバイスをお互いに話し合ったりする余裕も生じた。
眠る前に、ベッドで横になってパートナーと一日あった面白いことを話しあって段々深い眠りに落ちていく。
ドウインは私の生活から消えた日々はより充実している気がした。

電車に乗っている隙間時間は私が情報への欲求と社会参加意欲を満たされた。さらに一日の予定を大まかに掴めた。
お昼の並び時間は人間関係の協調を手助けてくれた。
寝る前の隙間時間はパートナーとコミュニメーションを取ることができ、家庭の雰囲気がさらに仲睦まじくなった。
隙間時間は目的のない時間だが、無意味な時間ではない。

自律性の低い人にとって、TIKTOK抖音(ドウイン)はただの時間泥棒。

これらの元々有意義に過ごせる隙間時間はドウインに盗まれた。
ある週末の朝、ドウインを閉じることで襲い掛かってきた虚しさの原因に気付いた。
元々週末の過ごす予定は、8時に起きて朝ご飯を食べてから9時から二時間ほど仕事に係る専門知識の勉強をする。
8時40分に朝ごはんを食べ終わって、事前に決めた勉強の開始時間まであと20分もある。
少し休憩してドウインを見てみようとドウインを起動し、見始めた。
見始めてから時間に気付くまであっという間に時計に9時半と示され、手を付けたばかりなのに、もうこんな時間かと慌てて本を開いた。
その日に丁度少し専門性が高い難しい章に突入しているので、本を読んでいるうちに全く理解できなくて本人は既に諦めモードに陥った。
今調子があまり良くないから無理やり集中しようとしても無駄だと自分を容易に許して再びドウインを開き、そのまま11時までどっぷりとドウインにハマっていた。
自分が考えた計画を全く守っていないことで、自分を責め始めてその後、深い虚無感に苛まれるようになった。
この日、本当の隙間時間は20分だったのに対して、実際にドウインに浸かった時間は1時間50分もあった。

ドウインは泥棒、もしくは強盗犯。私の隙間時間を盗んでしまい、目的時間を奪ってしまったんだ。これは特例ではなく、かなりの頻度で私の生活に発生している。
気を付けないと、価値のある目的時間はそれ自身が潜まれた高い難易度や過ごしづらさで無意識に楽な娯楽性が強い隙間時間を入れ替えられることに。
簡単に手に入れられる快感に慣れてしまうと、有意義に過ごそうとする時間を退屈に感じてしまう危険がある。

特に寝る前の時間を考え直すと、さらに違和感を覚えた。
ベッドに入り込んで未だ眠れない状態なので、この時間は自分から見ると隙間時間だと思ってドウインを見始めた。
10分を見れば本気に寝るモードに切り替えようと決めた。
ここで二つのケースを考えられる。
一つ目:自分をコントロールできずに、1時間も見てしまった。この場合に、ドウインに50分も奪われた。
二つ目:しっかり自分が定めたルールを守って10分が経ったら携帯を手放した。
しかし、10分間ドウインを見た後も見る前と同様に更に10分間をかけて眠る努力しなければならない。そう考えれば、ドウインに掛かったこの10分は隙間時間ではなく、正常に眠るために欠かせない目的時間となる。
隙間時間だと思い込んでいる時間は本当は目的時間である可能性が高い。
隙間時間はただ砕けた短い時間に過ぎない。隙間時間を使って休憩をしたりぼっとしたり次に臨む目的時間のため、力を蓄えたりする必要がある。

終わりに

ドウイン、沢山のお笑いネタを見たが、ドウインを閉じれば楽天家になるわけではない。
ドウイン、一般論を沢山見ることができたが、個々の時間を大切に過ごしたわけではない。
ドウイン、日々の生活を記録してくれたが、明るい未来を創ってくれるわけではない。

ドウインは私に短い快感を与えてくれたが、私から大量の目的時間を奪った。
なので、ドウインをアンインストールした。
ドウインから隙間時間を取り戻して、
風に靡いて擦れ合う葉のさえずりに耳を傾け、
春がもたらした鮮やかな色を自分の目で満喫し、
好きな人を思い出して微笑む……