旅の思い出を気さくに――なぜ旅を文字で記録すべきか?

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旅の思い出を気さくに――なぜ旅を文字で記録すべきか?

 

 楽しい時間が過ぎるのはいつも速いー

 でも、かなり充実してきて、奇妙な体験がびっしり詰め込まれた二日間を沖縄というごちゃごちゃとした自分の日常から遠く離れている非日常の場所で過ごしていた。

 南国の海から無限のパワーを貰っているおかげなのか、朝いくら早く起きても、夜いくら遅く騒いでも疲れをあまり感じなかった。不思議ですね~仕事に行くのにいつも朝ギリギリの8時までベッドに粘るのと真逆ですね。

 早く本日の予定を実施したくて念願の場所に早く辿りつけたくて仕方がない。

 非日常の楽しいことをやる時と見慣れた日常の仕事と比べることはそもそも間違っていたが、同じ体をしているはずなのに、沖縄にいる自分は体力が良くて頭がより冴えているような感じさえする。

 こうやって帰って旅の思い出をすべて記録しようとパソコンに向かって文字を並ばせたら感無量っていうか二日に発生したことや感じしたこと等自分に対しての貴重さを改めて気付かせてもらった。人間の記憶より脆いものはない。その瞬間その瞬間に感受したことを何かしらの形に残しておかないと、すぐに時間の風と共に自分を置き去りしてどこか行ってしまう、後々別の形で自分の身に帰ってくるかもしれないが、原型をしっかり書いて、必要な時に記憶を明晰に調べられる何かが欲しい。

 これこそ、今回の素晴らしい旅経験を気さくにブログに書く目的です。

 気さくにというのは文章にまとめる際にフレーズを推敲するのに時間がかかってしまうというよりもっと自分の感情の流れを大事にしたいと思うからです。

 カメラで旅を記録する方法は主流になってきた今の時期、インスタ映えやツィーターやFB等沢山のSNSに写真を載せることができるが、それはどれだけの情報が含まれているだろう。

 例えば、どこか行く前に、きれいな場所があるかなと私も必ずインスタグラムで行こうとする場所名を入力して、他のユーザーの写真を参考して可愛い写真を撮れるスポットをマークするようにしています。

 こうして確かに綺麗な写真が取れるが、良く見れば他の人が撮った写真と大きな違いがなく、ただ「○○に行ってましたよ」のような薄っぺらの証拠写真的なものになってしまうだけ。自分の解釈や自分らしさをしっかり入れておかないと情報があふれているほど多く飛び交うご時世に、別の人が発信しているものをそのまま伝写するのと同じになるので、一次資料として扱って充分だと思います。

 写真に納まった風景だと、その観光名所に関するHPにアクセスすれば、自分が撮った写真より何倍も素敵な写真を見ることができます。

 写真に映っている食べ物の味や調理された料理の素材、映っている人とどんな付き合いをしてきたかどんな会話で盛り上がったか、カメラで撮影できない処で何があったか楽しいこと、残念に思ったことは何か写真だけじゃすべてストーリーを語れません。

 それらを説明できるのは文字!

 動画という手もあるが、ずっとつけっぱなしにはいかないし、仮にずっと取れたとしても、所詮二次加工していないもので、その裏に潜まれた自分の思いや考えは勿論全く映っていない、映るわけがない~ 旅の思いというのは意外と日常に帰ってじっくり感じてから冷静に見ることができ、沢山思いが湧いてくるとよく言われています。

 なので、私が書きます。書き続けたいです。

 なぜ本日心境を明かすような文章を書くかというと、これからも気さくに旅に出会った話を綴り続けるように自分が自分を励ますためです。

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飛行機の中で見たちょろっと顔が雲の上に出した富士山🗻の写真です。